石ノ森萬画館は、中州に立っており、398号線(石巻街道)で旧北上川の東岸に渡ると、津波で打撃を受けた、たくさんの民家や倉庫が目に入ってきます。そこには、コンクリートの土台だけになった民家の跡や、その土台そのものが津波で動かされた跡、カベに大きな穴があいたままの民家や工場などなど、名状しがたい、殺伐とした光景が広がっていました。
工場やうちあげられたままの船などは写真におさめましたが、家財道具などが完全には片付けられないままの状態の民家には、さすがにとてもカメラを向ける気にはなれませんでした。なお、倒壊を免れた民家の一部では、まだ生活している(あるいは生活を再開した)人たちもいらっしゃるようでした。
ひととおり、大ぶりのがれきは片付いているとはいえ、かつての生活を想像させるこまごまとした道具類や生活用具などは、まだまだあちこちに残されていました。
さらに河口に向かって、しばらく歩き続けると、震災の結果生み出されたと思われる、膨大な金属のがれきがフェンスで囲まれている一角に着きました(写真下左)。正確な数字はわかりませんが、100m×50mほどの敷地に、最高5mほどの高さに、金属のがれきがうず高く積まれています。さらに、その先の河口寄りの広大な敷地には、金属以外のものと思われる、より一層膨大な、がれきの山ができています。敷地面積は金属のがれき置き場の10倍ほどはあるのではないでしょうか。がれきの高さも10mほどもあるようです。一番下の写真の、中央の鉄塔の下に小さくショベル機が写っているので、どれほどのスケールか想像できると思います。布製の簡単な目隠し(しきり)で周囲が囲まれていて、この日も作業中だったため、中のようすはくわしくはわかりませんでしたが、とても短期間で解決できるような量でないことは確かです。
石巻を訪ねて(その1)では、鉄道の復旧の重要性について述べましたが、震災がれきの処理・処分は、被災地にとって、やはり重要な課題であることを痛感しました。がれきを長期間そのままにすることは、がれきの一部が腐敗したり、火災の原因になったり、粉じんの被害が拡大したり等、集積場付近の住民にとって有害だと思います。広域処理の是非の議論に加わるつもりはありませんが、少なくとも、震災や津波の第一義的被害者の立場に立った解決策が、急がれることは間違いありません。 (滝澤)
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