2012年5月24日木曜日

石巻を訪ねて(その2)~がれき集積場の今


 石ノ森萬画館は、中州に立っており、398号線(石巻街道)で旧北上川の東岸に渡ると、津波で打撃を受けた、たくさんの民家や倉庫が目に入ってきます。そこには、コンクリートの土台だけになった民家の跡や、その土台そのものが津波で動かされた跡、カベに大きな穴があいたままの民家や工場などなど、名状しがたい、殺伐とした光景が広がっていました。

工場やうちあげられたままの船などは写真におさめましたが、家財道具などが完全には片付けられないままの状態の民家には、さすがにとてもカメラを向ける気にはなれませんでした。なお、倒壊を免れた民家の一部では、まだ生活している(あるいは生活を再開した)人たちもいらっしゃるようでした。

ひととおり、大ぶりのがれきは片付いているとはいえ、かつての生活を想像させるこまごまとした道具類や生活用具などは、まだまだあちこちに残されていました。

さらに河口に向かって、しばらく歩き続けると、震災の結果生み出されたと思われる、膨大な金属のがれきがフェンスで囲まれている一角に着きました(写真下左)。正確な数字はわかりませんが、100m×50mほどの敷地に、最高5mほどの高さに、金属のがれきがうず高く積まれています。さらに、その先の河口寄りの広大な敷地には、金属以外のものと思われる、より一層膨大な、がれきの山ができています。敷地面積は金属のがれき置き場の10倍ほどはあるのではないでしょうか。がれきの高さも10mほどもあるようです。一番下の写真の、中央の鉄塔の下に小さくショベル機が写っているので、どれほどのスケールか想像できると思います。布製の簡単な目隠し(しきり)で周囲が囲まれていて、この日も作業中だったため、中のようすはくわしくはわかりませんでしたが、とても短期間で解決できるような量でないことは確かです。

石巻を訪ねて(その1)では、鉄道の復旧の重要性について述べましたが、震災がれきの処理・処分は、被災地にとって、やはり重要な課題であることを痛感しました。がれきを長期間そのままにすることは、がれきの一部が腐敗したり、火災の原因になったり、粉じんの被害が拡大したり等、集積場付近の住民にとって有害だと思います。広域処理の是非の議論に加わるつもりはありませんが、少なくとも、震災や津波の第一義的被害者の立場に立った解決策が、急がれることは間違いありません。 (滝澤)










2012年5月23日水曜日

石巻を訪ねて(その1)~石ノ森萬画館の今


 宮城県山元町での出前授業の翌日(5月19日)、仙台から高速バスを利用して、初めて宮城県石巻市を訪ねました。震災から早12カ月余り。津波被害が深刻だった地に、なかなか行けなかったことが悔やまれますが、時間がたったとはいえ、現地で事実を目撃することは大切なことなので、私が見聞した、石巻の今の一端を、レポートします。(現在、仙台と石巻を結ぶJR仙石線は一部区間しか復旧しておらず、石巻に入るにはバスなどを利用するしかありません。真野小の校長先生も、常磐線がやられてしまって、南相馬は陸の孤島のようになってしまった、と嘆いておいででした。交通機関の復旧も焦眉の課題であることが、現地を訪ねて、初めて実感できました)

 石巻の駅は津波が襲来した場所からやや離れているためか、一見して震災の爪あとのようなものは見受けられませんでした。しかし、商店街のあるメーンストリートを進んでいくと地震による被害が、徐々に目に入って来ます。

 石巻は、漫画家の石ノ森章太郎の故郷ということで、石ノ森さんの漫画のキャラクターが、モニュメントとしてここかしこに立っています。(上の写真は戦隊もののさきがけになったゴレンジャーのモニュメント)このキャラクター群は、震災さえなければ、石巻観光の目玉のひとつだったろうなと思いました。当日は、仙台が青葉まつりの日だったこともあってか、人影はまばらでしたが、それでも漫画ファン、石ノ森ファンのような人たちを何人か見かけました。

 石ノ森萬画館を目指して歩きつづけると、やがて北上川(旧北上川)沿いの津波被害が深刻だったエリアが目の前に広がってきました。TV等で私たちが見知った、震災後に見られたがれきの散乱といった状況は、さすがに解消していましたが、震災の爪あとは、そこかしこに残っていました。石ノ森萬画館は津波のダメージのため現在は休館中です。割れたガラス窓をふさぐためにあちこちに置かれているべニア板は、初代仮面ライダーの藤岡弘さんをはじめ、多くの石ノ森ファンらによる、被災地への激励の寄せ書きの場所になっていました。

 石ノ森萬画館の方から眺めると、旧北上川の対岸に、打ち上げられた船がいくつか見えました。それらを目印に対岸に渡り、さらに海岸部のがれき処分場の近くまで歩きました。震災がれきの今については、石巻を訪ねて(その2)で、詳しくご紹介したいと思います。(滝澤)







2012年5月19日土曜日

日食出前授業、無事終えました

みなさま
 先日、呼びかけた日食出前授業ですが、17日には福島県南相馬市(真野小学校)、18日には宮城県山元町(山下小学校)で、無事、実現することができました。直前の呼びかけにもかかわらず、この企画の実現に向けて、お力添え下さった保護者のみなさま、学校関係者のみなさま、教育行政関係者のみなさまに、この場を借りて、厚く御礼申し上げます。とりわけ実施校でお世話になった真野小学校の松岡校長先生、山下小学校の千葉校長先生はじめ、教頭先生ほか、日々学校現場で奮闘していらっしゃるすべての先生方に、感謝の思いを捧げたいと思います。
 当日のようすは、思いがけずNHK福島放送局の取材を受けたので、おそらく数日のあいだだとは思いますが、福島放送局のHPでアーカイブ録画映像をご覧いただけます。「はまなかあいづ」の17日放送分です。
http://www.nhk.or.jp/fukushima/hamanaka/
 20分55秒くらいから23分09秒くらいまでですので、よかったらご覧下さい。NHKのアナウンサーのなかでも、私が好きなアナウンサーのひとりである伊藤博英アナが、笑顔で紹介してくれていることがうれしいです。お子さんのようすも写っていますので、真野小の保護者の方も当日のようすがわかりますので、ご笑覧いただけると幸いです。
なお、この日のニュースでは、ベラルーシの子どもたちが、福島市の中学校を訪れ、交流を深めた、というニュースも報じられています(12分頃~)。こちらのニュースもぜひあわせてご覧下さい。

 なお、行かなければと常々思いながら今日まで果たせなかった、津波被災地を訪れた感想を、保護者の方に宛てたメールのお返事をお借りして、以下にご報告しておきます。


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 連絡が取れずすみません。
 昨晩の宿泊先はネット環境がなかったもので、メールを見ることができませんでした。
 せっかく、お近くまで参ったのに、お話を伺うことがかなわず、ご挨拶もできず恐縮です。
 そのかわりと言ってはなんですが、校長先生が長時間、対応して下さり、帰りも長距離バスの発着場までお送り頂き、短時間ではありましたが、被災地の実情の一端をうかがうことができました。
 放射能の問題に限らず、被災地の問題解決までの道のりは、まだまだ険しいな、と感じました。

 ともあれ、真野小の子どもさんたちは熱心に話を聴いてくれて、最後は6~7人もの児童から質問攻めにあいました。お世辞抜きでこんなに反応がよいのは珍しいことで、被災地の希望は、やはり子どもたちだな、と思いました。
 
 本日(18日)は幸い、宮城県教育委員会(教育庁)のご配慮で、山元町の山下小で、同様の授業を行うことができました。
 ここでは、学校に到着するまでの30分ほどのあいだでしたが、地元のタクシー運転手の方にガレキ処理場の近くまで、案内して頂きました。聞きしにまさる、という表現は穏当を欠くかもしれませんが、その膨大なガレキの山の大きさに、解決の道のりの遠さを感じました。
 焼却施設はつい最近、稼働を始めたばかりだ、とのお話でした。

 山下小では、4年生で1回、5,6年生をまとめて1回、合わせて2回授業の時間を頂戴しました。昨日と比べて、やや時間配分に失敗し、質問の時間を十分取ることができませんでしたが、プロジェクターを片付けている最中に、子どもたちが寄ってきて、いろいろと質問をしてくれました。
 短期間の広報不足、準備不足の取り組みでしたが、被災地の2校の小学校におじゃますることができて、私としては満足です。今回は単発的な取り組みでしたが、今後何ができるか、ということも合わせて考えていきたいと思います。

2012年5月13日日曜日

被災地で“金環食”出前授業いたします

 私たちの会のメーリングリストで、被災地で金環食の観察法に関する出前授業をしたい、と投げかけたところ、早速1件問合せを頂戴し、17日(木)に南相馬市の小学校で実現できそうです。最低1箇所でも見通しが立ったことで、俄然やる気が湧いてきました。

 出前授業の先は、必ずしも学校にこだわっておりません。被災地の仮設住宅等、人が集まれる場所を1時間程度提供いただければ、どちらへでも参ります。日程としては、17日の午後から日食前日の20日の午後くらいまでを考えています。宮城、岩手にも参りたいと考えておりますので、直前のアナウンスで恐縮ですが、受け皿をご存じの方は、ぜひ、ご連絡下さいますよう、お願いします。謝礼・交通費等一切不要です。

 参考資料として、先週の木曜日に、私が京都府立西城陽高校で出前授業をした記事が、読売新聞京都版に掲載されましたので、転載しておきます。ご笑覧下さい。(この出前授業は、京都府教育委員会と京都大学の協力企画です。今回、私が呼びかけている取り組みとは、直接関係ございませんので、府教委や大学には問合せなさいませんよう、お願いします)

被災地で日食出前授業 問合せ先 090-9977-0131 (滝澤)

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「金環日食」仕組み講義
~京大と連携 小中高校でスタート~

京都では282年ぶりに観察できる21日の金環日食を前に、府教委は10日から、京都大と連携して府内の11の小中高校で、金環日食についての出前授業をスタートさせた。18日までの間に、残りの75校で実施する予定。

 金環日食は、太陽が縁を残して月に隠され、金色の輪のように見える現象。21日午前7時半前後に、九州から関東にかけての広い範囲で観察できる。

 城陽市枇杷庄の府立西城陽高校(宮原芳久校長)では10日、京大理学研究科の大学院生、滝澤寛さんを講師に招き、アドバンスクラスの1年生約120人が視聴覚室で講義を受けた。

 滝澤さんは、日食の起こる仕組みや同校での見え方などを、動画や図を交えて解説した。肉眼で直接見ることはもちろん、下敷きやサングラス、すすを付けたスライドガラスなどを使って見ることも、目を傷める危険性があると指摘。日食グラスを使う場合でも、望遠鏡をのぞいてはいけないことなどを説明した。

 また、厚紙に小さな穴を空け、白い紙に投影したり、木漏れ日の影を見たりしても安全に観察できることを紹介した。星を見るのが好きだという1年藤田成美さん(15)は「観察の時の注意点が参考になりました。通学時に見えるので、日食グラスを使いたいと思う」と話していた。

2012511 読売新聞)








         金環日食についての講義を受ける生徒ら(城陽市の西城陽高校で)