2011年5月8日日曜日

4月30日第一回福島現地報告会の感想を頂きました

みなさま、支援する会の滝澤でございます。
4月30日の報告会について、討論された内容について、お知らせが 遅れていてすみません。
いち早く、詳しいご感想を寄せて下さった茶道家の新居万太さんの、心のこもったレポートを掲載いたしますので、どうぞお読みください。

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今日(430日)はありがたうございました。

素晴らしいと云ふか、心にしみる報告会だったと思ひます。

途中参加でしたが、やはり実際にそこに行ったご本人の言葉で語って頂くと、現地の雰囲気が生々しく伝はってきます。

駆け足報告で、今回語りきれなかっただらうたくさんの経験に思ひを馳せます。(残念ながら12日の報告会には伺へさうにありませんが)

それに加へて、三重の高山さんと云ふ方の、実際に現地に入っての、それこそ思ひのたけの発言は、したり顔(のつもりはありませんでしたが)をビンタされたやうな気持でしたよ。

自分自身を責めるかのやうな深い悔恨を胸に、覚悟を持って現地に向かはれたのでせうが、若き司祭が同行しやうとするのを止めやうとして、逆に彼から「放射能がなんですか、まずつながりませう」と云はれ、結局同道したとのお話でしたね。

そして、高山さん達が参加した飯舘村々民決起集会(4/26)では、誰もが全く言葉を挟むことなく人の意見に耳を傾けてゐた様子を話され、今日の会場との温度差を強く指摘されました。現場の危機感の深さがあらためて会場全体に伝はり、会場は静まり返ったやうに思ひます。私もショックを受けました。

福島に住むルワンダ難民マリールイーズさん言葉を引きながら、私達のの出来る事(するべき事)は、一人一人の話に耳を傾けることだと話されました。本当の現状を知ることだと。

私達は現地に居ない。一方で、危機が刻々迫ってゐる人たちが居る。この事に知恵を出さう!、と云ふ呼び掛けが心に突き刺さりました。

続いて三品さんと云ふ仙台から移住されて来られた方が、ご自分のかつての飯舘村での農業体験などを通して、飯舘村の素晴らしさを話して下さり、この村が汚染されてしまった事実の深さを、より自分にひきつけて思ふことが(ほんの少しですが)出来るやうになった気がしました。

三品さんが提案してゐた村落全体の移住と云ふ話、滝澤さんが、綾部などに、村ごと誘致の話しがあると云ってをられましたが、さうなのですか?。たとへ飯舘村がどこかに新飯舘村を造ってゆく事になったとしても、また、その近隣の原発と闘って行かねばならないのかと思ふと、私などは何ともやりきれない気持にもなりますが、高山さんが「これからの生き方の魁になる決起集会」と力強く云ってをられた事に微かな希望を見ます。飯舘村の復活があるとすれば、その事自体が闘ひの前衛となってくれる事でせう。

こんな事態になって(私が)初めて知る事になったこの魁の村の悲劇に、あらためて思ひを深くしました。

他にも仙台やいわき市から移って来られた方達の、深い危機感に裏打ちされた現状報告はほんたうに生々しかった。

それを踏まへた守田氏の「福島で原発話のタブーが広がってゐる」と云ふ話。つまり例の「正常性バイアス(危機を認めない)」から来る感情のもつれや対立は、福島はもとより関東一円、特に東京で顕著なのではないかと想像してゐます。東京の友人達を見たり、その話を聞いて。そしてそれは全国的に、一般人レベルでの原発に関する対立の源になってゐると思ひます。

深い危機感や不安感から派生する「正常性バイアス」が、不思議に根強いアンチ脱原発の流れに関はってゐると思ふのです。

余震や、直下型地震などの現実的な不安でいっぱいいっぱいの脆弱都市東京に暮らす人達の「正常性バイアス」を解きほぐすにはだうしたら良いのか。

かく云ふ私も、自分の足元の地震や原発事故に、日々不安が大きくのしかかり、正常性バイアスがかなり掛かってゐると思ひます。正しく怖がる事はほんたうに難しい。

私はとても苦手やった(つまり逃げてた)ことですが、身近に、関はりのある人と直接に対話して行くこと、そこから始めて行くしかないのでせう。

とにかく、今やらなくてだうする、いま変はらなくてだうする、と云ふ、今、この時ではあります。

ワークキャンプのこと、片隅でもお手伝ひ出来る機会を与へて頂いて感謝してゐます。

お役に立つか分かりませんが、出来る事をしてみます。

今日はお疲れさまでした。ありがたうございました。

今後ともよろしくお願ひします。

新居万太

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